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バスケットの国際大会の予選グループで
ボカはフラメンゴと対戦し勝ったことが
話題になったそうですね。そうかフラメンゴ戦が実現したんですね。

先ほど見てみました。
71対68での僅差で勝利しています。
後半試合終了まで残り6秒で相手にファールがあり
2K20で遊んでいた時の雰囲気で
負けていると試合終盤にファールが増えることは
なんとなくわかりましたが
会場、ボカのホームの雰囲気が素晴らしく
69対68のボカ1点リードでのファールからの
フリースローのシーンでヴィルドサが2本とも決めたんですが
1本決まるごとの会場の盛り上がり、高まる感じ、
臨場感がものすごくありアルゼンチンバスケットの
良さが最大限に出ていたんではないでしょうか。

bocabasquet2.png

キャプテンのボッキアのシャツのネームがBOCCAにしか見えない
狙ったカメラワークも憎いですね。本来はBOCCIAです。

bocabasquet1.png

満員の会場。フリースロー直前のタイム
あと残り7秒だがリードは1点、
3点のシュートが決まれば4点差にでき試合は決まるが
それを阻止すべくファールをしてくるのでそれはない。
2点シュートを打たせる線もない。攻撃に時間がかかるため
フラメンゴボールでリスタートできるがもう時間がない。
負けてるフラメンゴとしてみれば
即ファールでフリースローをわざと相手に与えて
決まるか決まらないかは問題ではなく
自分たちが意図的に作った残り5秒ほどで最後のシュートをどう決めるか。
すでにその1点に全神経を集中しているでしょう。
これしか生き残る方法はありません。
ボカ側にはなしを戻せば
2本とも決まれば3点差にはなるが
1本しか決まらない場合は2点差。
その時点で残り5秒くらいで相手の攻撃チャンスは1回のみ。
相手ボールからのリスタートの最後の3点シュートが決まれば
延長または痛恨の逆転負け
それをどう阻止するか、阻止さえすれば勝てる、
という確認でしょうね。たぶんですけど。
ちなみにもしそうであれば監督の作戦通り相手のロングシュートを
未然に阻止したのもキャプテンのボッキアでした。
緊張感がものすごい中で選手はみんな冷静でしたね。
こういうパスワークでこの選手が打つからこのタイミングで阻止しろ
ってかなり具体的な指示でその通り全部当たってるんでしょうね。
私はバスケットは本当に何もわかりませんけどね。
ボカ、勝ててよかったね!
30年後くらいにクラシコに認定されるようなこともあるかもしれませんよね。
クラシコの必須条件の一つに、お互いのチームが
そのチームのみならずファンや地域や国際試合であれば国が、相手と同じように
ライバルにふさわしい、という認識が非常に強いこと、があります。
クラシコ認定へは長く厳しい道がありますがそりゃそうでしょう。
アルゼンチンサッカーの5大クラブだって

1931ボカ 2位サンロレンソ
1932リバー 2位インデ
1933サンロレンソ2位ボカ
1934ボカ2位インデ
1935ボカ2位インデ
1936リバー2位サンロレンソ
1937リバー2位インデ
1938インデ2位リバー
1939インデ2位ウラカンとリバー
1940ボカ2位インデ
1941リバー2位サンロレンソ
1942リバー2位サンロレンソ
1943ボカ2位リバー
1944ボカ2位リバー
1945リバー2位ボカ
1946サンロレンソ2位ボカ
1947リバー2位ボカ
1948インデ2位リバー
1949ラシン2位リバー
1950ラシン2位ボカ
1951ラシン2位バンフィ
1952リバー2位ラシン
1953リバー2位ベレス
1954ボカ2位インデ
1955リバー2位ラシン
1956リバー2位ラヌース
1957リバー2位サンロレンソ
1958ラシン2位ボカ
1959サンロレンソ2位ラシン
1960インデ2位リバー
1961ラシン2位サンロレンソ
1962ボカ2位リバー
1963インデ2位リバー
1964ボカ2位インデ
1965ボカ2位リバー
1966ラシン2位リバー
1967エストゥディアンテス2位ラシン

このようにプロリーグ発足以来、
36年間ボカ、インデ、ラシン、サンロレンソ、リバー
の5チーム以外から優勝チームが出なかったことにちなみます。
ボカは優勝10回2位が6回です。
どうせ5チームしか参戦してないんでしょ、
と思われる方も多いでしょう。

1931年にリーグがプロ化されたのですがその時のメンバーが

アルヘンティノス
アトランタ
ボカ
チャカリータ
エストゥディアンテス
フェロ
ヒムナシア
ウラカン
インデ
ラヌース
プラテンセ
キルメス
ラシン
リバー
サンロレンソ
タジェレス
ティグレ
ベレス

と18チーム参戦のホームとアウェー総当たりで
全34試合おこなわれていたようです。
ですから5チーム参戦ではありません。

また、1938シーズンから恐怖の昇降格システム導入され
1938年昇格アルマグロ降格キルメスとアルヘンティノスジュニアーズ
1939年にはロサリオ市の2チームである
セントラルとNOBが昇格とは別にリーグ新加入、
昇格はアルヘンティノ・デ・キルメス降格はアルマグロとタジェレス
1940昇格はバンフィ降格はアルヘンティノデキルメス
1941昇格はなし降格はベレスとチャカリータ
1942昇格はチャカリータ降格はセントラル
1943昇格はセントラル降格はティグレ
1944昇格はベレス降格はヒムナシア
1945昇格はヒムナシア降格はバンフィ
1946昇格はティグレ降格はヒムナシア
1947昇格はバンフィ降格はフェロ
1948昇格はヒムナシア降格はアトランタ
1949はチームを増やす方針で降格はなし昇格はフェロとアトランタ
1950昇格はキルメス降格はラヌース
1951昇格はラヌース降格はティグレとセントラル
1952昇格はセントラル降格はキルメスとヒムナシア
1953昇格はヒムナシア降格はアトランタ
1954昇格はティグレ降格はエストゥディアンテス
1955昇格はエストゥディアンテス降格はバンフィ
1956昇格はアルヘンティノス降格はプラテンセ
1957昇格はアトランタ降格はチャカリータ
1958昇格はセントラルコルドバデロサリオ降格はフェロ
1959昇格はフェロ降格はティグレ
1960昇格はチャカリータ降格はセントラルコルドバデロサリオ
1961昇格はロスアンデス降格はNOB
1962昇格はキルメス降格はラヌースとロスアンデス
1963昇格はバンフィ降格はフェロとキルメス
1964チームを増やす方針で降格無し昇格はフェロとNOB  
1965この年も降格無し昇格はラヌースとプラテンセ
1966この年も降格無し昇格はコロンとキルメス

コロンとアルマグロとアルヘンティノ・デ・キルメスとロスアンデス
の4チームがわずか1シーズンのみ
(ただしコロンは最後に昇格しただけなので例外的)
セントラルコルドバ・デ・ロサリオは2シーズンのみ
初期メンバーから一番最初に力尽きたのは導入2年目の
1939年に降格したタジェレスで
8シーズン在籍、ということになります。
ですから厳しさもちゃんと併せてあります。

そして今でこそ5大クラブと呼ばれそのクラブ同士の対戦は
クラシコと呼ばれていますがクラシコとはまず伝統があるからクラシコなわけで
当時のいつ頃から、例えばインデ対ラシンがクラシコと呼ばれていたのか
調べる必要がありますが1963年のサンロレンソ対ボカの試合の映像が
所有している最古の試合ですがその試合には
サンロレンソとボカの対戦はクラシコ、という表現は確認できました。
この年どちらも優勝してないんですね。
ですからもっと早い時点でクラシコと認知されていた可能性は十分高いですが
前身のリーグがアマチュアだったころからすでに何度も対戦はしてますし
30年くらいはかかるのではないかという印象です。

ついサッカーのはなしで例えてしまいましたので長くなりましたが
いずれにしましても
こういうタフな試合を何試合も重ねることで次第に芽生えていき
育っていくことでしょう。
そうでなくともフラメンゴ戦は南米バスケット最高の好カードとして
大きな注目を集めることができれば今のボカの活躍が
ちゃんと未来につながっているわけですから大きな意味があります。

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